私の実家の魚屋には、恵比寿大黒がお祀りされていました。
ここら辺の風習では、恵比寿様が1月20日に稼ぎに出かけ、11月20日に帰って来るのだとか。
なので、1月20日と11月20日はえびす講と言って、恵比寿様に鯛をお供えしていました。
魚屋を辞めてからも、家には恵比寿大黒がお祀りされていますが、鯛をお供えすることはありませんでした。
が、2月20日、母がいきなり鯛をお供えし始めたので、「どうしたの?」とたずねたところ、
「この恵比須様は、本当によく稼いでくれたからさ~。本当は、1月20日にお供えしたかったのだけれど、
その時にはできなかったから、月遅れの今日、お供えしてみた。感謝の気持ちを込めて。」と。

 そういえば…今年の初午の祈祷をしてもらった時(2月11日)、神仏のことをきちんと20210211_092237_010
お祀りできることは、本当にありがたいことだな。と思いました。
今まではやらなければならないことだから。とか、ご縁日だから。とか、そんな気持ちで
お祀りしていたような気がするのですが、神仏のことを行える心の余裕があることと、
お供え物や御祈祷料のためにお金を使えることに、感謝の気持ちが溢れました。
きっと母もそんな気持ちだったのかもしれません。

 最近昔話にハマっている次男と読んだ『木仏長者』のお話にも改めて感動。
「仏というものは、人びとの信心によって、力をしめすものなのじゃ。」というセリフ。
 
何を隠そう、実家にある恵比須大黒は、きちんとした仏像ではなく、背中にお金を入れる穴があいている…
貯金箱だったのですって!!つい先日知った衝撃の事実。
でも、感謝の気持ちや想いって、きちんと通じるものなのでしょうね。

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